化学教育・ひとりごとNo.1(2004.9.2)   「学術趣味はほどほどに」

 柏崎に住む知人から久々の電話をもらい,ずいぶんと長電話になってしまった。
彼は田舎の同じ高校から同じ大学に入り,機械工学科を出たあと機械関係の企業に勤め,55歳で早期退職して間もない。息子さんは遅くできた子で,まだ中学生。
息子の理科教科書を,暇にまかせて(?)何十年ぶりにパラパラ読み,書きっぷりに愕然としたのだという。


 彼いわく,「誰が書いたのか知らないが,学者の卵をつくることしか念頭にないのじゃないか?」。
やけに小むずかしい話,社会に出たときものの役にも立たない話ばかり書いてあって,「これじゃあ<理科離れ>もあたりまえだね」というわけ。
むろんこちらにも,思い当たるフシはいくらでもある。


 いちばんひどいと思ったのは,たしか2001年に小学校『理科』の検定を受けたとき。
3年生(ですぞ)の最初に出てくる「植物を育てる」単元で,ホウセンカか何かのイラストに「本葉」「ふたば」と書いたら文科省は「ダメ,書き直せ」。
「そんな言葉は『学術用語集』にないから」だと。
「本葉→葉」,「ふたば→子葉」と直して通ったが,年端のゆかない子どもたちに「学術用語」をたたきこむ必要がどこにあるのか? 
やはり3年生の「虫」もダメとなり,「こん虫」に直させられた。


 似たような例は中学にも高校にもおびただしい。キリがないので,高校化学からひとつだけ。
たいていの『化学I』教科書は,最初のあたりに「化学概念の歴史」みたいなものを紹介し,そのひとつが「定比例の法則」だ(中学でも教える先生がいるらしい)。
law of constant proportionの和訳だろうけど,このproportionは絶対に「比例」などではなく,「比率」や「組成」を意味する。
つまり,「物質は原子が一定の比率で混ざってできる」という,ごくあたりまえの話。


 100年前ならいざ知らず,いまどきそういうことを「法則」として,しかもとんでもない誤訳を使って教える意味は何もない。
「倍数比例の法則」もしかり。
こうした学術趣味が,子供たちを化学から,そして理科から遠ざける一因ではないのか?


 知人も言う。少なくとも中高校までの理科なら,自然現象を解き明かすおもしろさ(ワクワク感)や,暮らしにどれほど役立っているかを教えるだけでよい。
余計な学術用語は,理科系の大学に進学したあとで十分だ,と。
まったく同感。それにはむろん,大学入試の大変身が大前提だろうけれど。
 ただし,そうなった暁には,現場の先生がたにもそれなりの覚悟が要求されよう。

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