化学教育・ひとりごとNo.3 (2005.4.11)   「伝統の力」 (続き)

【前回に続いてまたもや言い訳を。「光陰矢のごとし」「二兎を追うものは一兎をも得ず」の心境です。
次々と降りかかる雑務のせいなれど、まったくもって情けない。
次回こそは遅れまい‥‥と決意していますので、どうか温かい目で見守ってやってください。】

高校では「気体1 molの体積は22.4 L」と習う。むろん「0 ℃、1 atm」の値だ。
が、高校でも別の箇所(反応熱や電離定数)は「標準状態」の温度を25 ℃とするし、大学の物理化学ならほぼ例外なく25 ℃を使う。
なぜあそこだけ0 ℃なのか、振り返ってみると不思議でならない。
40年前もそうだったから、これも「伝統」のなせるわざか。

「25 ℃、1 atm」なら、1 molの体積は24.5 L、四捨五入して25 Lになる。
そう覚えておけば、「1立方メートルは約40 molだな」とたちまち見当がつき、いろんな場面でたいへん役立つ。
22.4は、なんとも「いやな」数字だと思う。
高校でも「1 molは25 L」と教え、計算問題もその前提でやらせれば、「つまずきの元」がひとつ減るのではないか?

 もう7年ほど、某私立大学の化学系3年生に電気化学を教えている。
皮切りに熱力学の「さわり」を語るとき、「22.4 Lを忘れさせること」が最初の大仕事になる。
高校時代と受験期にしみついた観念を払い落とすのはじつにむずかしい。

 いったいなぜ、気体の体積にかぎって(しかも高校だけ)標準状態を「0 ℃、1 atm」にするようになったのか、化学教育史にくわしい方々のご教示を請う。
そして、この「伝統」を延々と続けるのがいいのかどうかについて、先生がたのご意見をぜひ伺いたい。

私が本件を問題にするのは、高校・大学間のよけいな溝(あるいは壁)はなるべく減らしたほうがいいと思うからだ。
それには、いつか誰かが、高校カリキュラムの荒療治をしなければいけない。
そのあたりを論じた短い文章が『化学と工業』誌の6月号に載る予定。

『化学』のほか『生物』でも、たまたま20年ほど前から研究テーマにしている「光合成」の記述が気になる。
光合成で最重要のポイントは、「太陽の光エネルギーを物質の化学エネルギーに変換すること」である。
ほかはことごとく枝葉末節にすぎない。

 ところが教科書には、「飽和点」だの「光補償点」だの「限定要因」だのと、はっきりいえば「どうでもよいこと」ばかりゴシックで印刷され、解説されているだけ。
私たちの食物はすべて光合成に源をもち、社会を動かすエネルギー源の大半は太古の光合成が生んだという、肝心なことが何ひとつ書いてない。

生徒にとって「頭の体操」にはなるだろうけど、高校を出たらたちまち「光合成? 何のこと?」状態になってしまうはず。
せっかくの高校3年間がもったいない。

こうした断絶について一緒に考え、打開策を探っていくのが、化学教育協議会の使命のひとつだと思う。

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